菰野町でキネシオロジー

自然健康法・タッチフォーヘルス・キネシオロジー

イライラ問題

「こういう個性があるからうまく付き合うにはこのようにすればいい」

というノウハウを知ったとして

どうもうまく実行できないことってありませんか?

例えば夫に対して。

男はほめて甘えてお可愛くおねだりしたらいい

なるほど

でもイライラしてるときに、

上手な付き合い方💓

とか頭でわかってても、多分できやん。

アドバイス聞いて

なるほどーーってその時は思う

その通りだ!って。


でも心の余裕がないとき
イライラしちゃった時

その小技出せますかと言われたら

出ない。

我にかえって

あーやっちまったな、こうしたらいいって聞いてたのにな、ついこっちが折れるのが悔しくなっちゃって。

とか反省する。


自分が何に反応していて
何がストレスで
何を求めていて
自分はどうしたいのかを整頓してみる


「どうしてこのひとはこうなんだろう」
と思っているとき

「そのひと」自身を見ていない

自分の中の「普通こうだろう」と思う姿と比べて見ている

というような話を何かの本で読んだことがある。

「今そのようにしている」

という事実がある

それにイライラを感じたりそれを問題と思うなら

それを問題だと思っている本人のなかに
それに反応するなんらかの問題が潜んでいるのかもしれない。

どっちが悪いとかそういう観点ではなく

なぜか無性にイライラする案件って
すごくわかりやすいサインかなあと思うのです。

これ、イライラしなくなって
気にならなくなって
結果関係がうまくいったら最高じゃないですか?

いやそう思わない!夫が悪い!私のイライラがなくなっちゃって可愛くおねだりしたらヤツを喜ばせるだけだ!なぜ私が我慢しなければならないんだ!相手が態度を改めるのが当然だ!

などのように思っちゃう場合は

夫にかわいそうな仕打ちをされる自分とか
夫にイライラさせられる自分
であることになにかしらのメリットがあるのかも?

いろんな関係性があるので一概には言えないかもしれないですが

少なくとも私はそうでした。

「夫を信頼できていないから預けて出られない自分」
がいて
「夫が子守するのをしぶっている感じ、嫌そうな顔」
に腹を立てつつ、
預けて出られないのを夫のせいにできる!という構図をつくっていました。

信頼して預けると決めたら
もちゃもちゃ言われても気にしない
嫌そうな顔かどうかも気にならず
「お願いしたし、いいっていったし!」
と、イライラも消えました。

自分にとってどっちがメリットがあるのか
自分にとって本当の願いはなんなのか

そこが決まっていたら

相手に負けたような気がしようが
自分の念願成就のために行動できるはず
なんですよねー。

どこに自分の軸を持ってくかで世界は変わる♪